本校は、大正10年3月、盛岡実科高等女学校(創立者三田俊次郎 初代校長・三田てる)として創立。以来91年一貫して実践的な女子教育にあたってきました。昭和23年の学制改革の際、岩手女子高等学校と校名を改称。昭和40年に衛生看護科を新設、さらに昭和59年に衛生看護専攻科を併設し、平成12年には福祉教養科を新設しました。また、経営母体の岩手女子奨学会は高等教育機関として平成2年、岩手女子看護短期大学(現・岩手看護短期大学)を創設しています。
大正10年3月15日 | 「盛岡実科高等女学校」認可される。(修業年限3年、定員150名)創立者 三田俊次郎 |
---|---|
10年4月5日 | 開校。盛岡市内丸57(岩手公園下)元作人館中学校を校舎とする。初代校長 三田てる |
12年3月15日 | 「盛岡女子技芸学校」認可される。(普通科・高等科・専攻科=修業年限各1年、定員150名) |
昭和2年4月7日 | 「盛岡実科高等女学校」の組織を変更し、「岩手高等女学校」とする。(本科=修業年限4年、定員200名、実科=修業年限3年、定員150名) |
2年4月20日 | 財団法人「岩手女子奨学会」認可される。 |
7年8月20日 | 実科を廃止、本科の定員を400名とする。 |
15年1月30日 | 本科の定員を600名とする。 |
15年6月24日 | 現住所に移転する。 |
16年3月5日 | 「専攻科」認可される。(修業年限2年、定員80名) |
18年2月20日 | 第二代理事長 三田俊定就任。 |
19年4月1日 | 「盛岡女子技芸学校」を廃止する。 |
21年4月1日 | 「岩手高等女学校」の修業年限を5年とする。 |
22年3月1日 | 学制改革により「岩手女子中学校」を設置する。(定員150名) |
23年3月19日 | 学制改革により「岩手高等女学校」を廃止し、「岩手女子高等学校」を開設する。(定員450名) |
26年3月10日 | 私立学校法により、財団法人「岩手女子奨学会」を学校法人「岩手女子奨学会」に組織変更する。 |
36年10月1日 | 創立40周年記念式典を挙行。 |
39年4月1日 | 定員を900名(普通科)とする。 |
40年4月1日 | 衛生看護科を新設。(定員120名) |
43年3月31日 | 「岩手女子中学校」を廃止する。 |
46年10月19日 | 創立50周年並びに東校舎落成記念式典を挙行。 |
56年10月14日 | 創立60周年並びに本校舎落成記念式典を挙行。 |
59年4月1日 | 衛生看護専攻科を新設する。(定員80名) |
平成2年4月1日 | 岩手女子奨学会は「岩手女子看護短期大学」を創設。(定員180名)※現在は校名変更し岩手看護短期大学 |
3年5月27日 | 創立70周年記念式典を挙行。 北京師範大学附属中学と姉妹校提携する。 |
6年4月5日 | 寄宿舎を岩手公園下から天神町6-15に移転する。 |
7年12月12日 | 体育館、特別教室落成記念式典を挙行。 |
8年2月21日 | 第三代理事長 三田明子就任。 |
10年4月1日 | 岩手女子看護短期大学に専攻科(地域看護学、助産学)開設。 |
10年12月14日 | 工芸館(陶芸、染色)落成。 |
12年4月1日 | 福祉教養科新設(定員120名)。 |
13年6月13日 | 創立80周年記念式典を挙行。 |
13年12月22日 | 名誉理事長 三田明子就任。 第四代理事長 澤野桂子就任。 |
14年4月1日 | 衛生看護科、同専攻科を5年一貫教育とし看護科を設置する。(定員200名) |
16年3月31日 | 衛生看護科閉科。 |
17年4月11日 | 普通科募集定員180名とする。 |
18年3月31日 | 衛生看護専攻科閉科。 |
21年10月29日 | 新寄宿舎落成。 |
23年11月9日 | 創立90周年記念式典を挙行。 |
28年4月1日 | 岩手看護短期大学の設置者を岩手医科大学に移行。 |
令和3年11月3日 | 創立100周年記念式典を挙行。 |